高知
金子直吉を育てた土佐
金子直吉は、仁淀川町で生まれ、高知市內で育ち、21歳で神戸の鈴木商店に丁稚として入店する。金子が育った高知は、土佐出身の政治家である後藤象二郎、板垣退助らが活躍し、また自由民権運動が活発化した頃であり、土佐の風土が金子を育て上げたといえる。
金子が生まれた吾川郡仁淀川町の「山村自然楽校しもなの郷」には、金子直吉資料室がある。金子一家は、維新後、仁淀川町から高知市乗出の長屋に移り住み、明治4(1871)年、6歳から高知市農人町の傍士質店で働き始める。この質屋で主人に非凡の才能を見出され、鈴木商店入店のきっかけとなった。
金子は、同郷の浜口雄幸(四國初の総理大臣)と親交が深く、片岡直溫(商工?大蔵大臣)ら土佐人脈をフルに活用する。また日露戦爭で活躍した島村速雄中尉は高知市西町出身であり、金子は幼少期に面識があった。金子が臺灣に行くため、島村に軍艦に乗せてくれと頼みこんだといったエピソードも殘っている。金子は故郷を重んじ、高知商業(現在の高知市立高知商業高校)に寄付をし大量の卒業者を採用。鈴木商店內には土佐派とよばれる一大勢力が形成された。
高知県西部の四萬十川にある通稱「赤鉄橋」(四萬十川橋)は、金子らが寄付をし、鈴木商店によって建設されたものである。また、金子は坂本龍馬の影響を受けたといわれ、母?タミのために坂本龍馬の生家(高知市上町)を買い上げ、その敷地に住まわせている。
金子直吉と妻?徳の墓所は筆山墓地の中にあり、2011年11月、高知ロータリークラブによって顕彰碑が建立されるなど、金子の偉業を再評価する動きが広がっている。
金子直吉の生誕地でもある仁淀川町および「山村自然楽校 しもなの郷」については、下記サイトをご覧ください。
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